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きのこの山をめぐる冒険

 

きのこの会

「今年の山は、ヤケイロタケでないがやぞいね。そっこらじゅうスエヒロタケやぞいね。せんせも今度、山に来てみまっし。」「ほんとかいね。そりゃ大変や。今年はスエヒロタケの胞子が街まで飛んでくるちゅうことやね。」ヤケイロタケは、慢性咳嗽と関わりの深い環境真菌で、スエヒロタケはアレルギー性気管支肺真菌症の原因となる環境真菌だ。いずれも山野に繁茂するきのこであるが、それらが飛ばす胞子が呼吸器疾患に関与している可能性がすこしずつわかってきた。石川きのこの会で講演の機会をいただいて以来、きのこの会のメンバーが私の診察室を訪ねて来て、山のきのこの最新情報を伝えてくれる。しかし、私はいつから<きのこ学者?>であったか定かではない。金沢大学呼吸器内科学教室が世界に向けて発信したアトピー咳嗽患者さんの中には、いつまでたってもよくならない、いわゆる難治性咳嗽の患者さんも存在する。一昔前ならば、あなたは気管が弱いですね、喘息の気がありますね。などとのんきなことを言っていられた。何のアトピーなのかを考えなければいずれ壁につきあたる。あるとき難治性咳嗽患者の喀痰をサブロー培地にぬぐっておいた。デスクの上に置き忘れたシャーレを見つけた事務の女性が、「こんなもの早くどこかに捨ててください!」と。確かに汚い。しかもグロテスク。白いホワホワした珍客が居心地悪そうにこちらをうかがっていた。

セオ研究室

JRは単線で、時折交換駅での行き違いになると、ホームに降り立って反対方向の電車の到着を待った。こんな時間の流れ方がここにはまだあった。私が、足利の地を訪れたのは2006年の初夏であった。一度どうしてもお会いしておかなければならないと、居ても立ってもいられなくなってのことであった。瀬尾昌克先生は、少し足の具合の悪い奥様の車いすを押して待ち合わせの時間通りに、駅前のホテルに元気な姿を見せられた。大分お加減が悪かったのだと、後日奥様から聞かされたが、しばしのカビ談義にはまだまだ気迫がこもっていた。「同じカビでも、冬場に雪の下に閉じ込められたカビは悪さをします。やんちゃですぞ。」 「抗真菌薬? そーんなもんでカビは死にません。もうだめかと思っても、こうやってシャーレを抱いて一緒に眠ってやると、みーんな元気になります。」 また、先生はときどきカビ語を話された(というか、カビになりきってしまわれた)が、奥様がそれを丁寧に通訳してくださり、楽しいひと時は瞬く間に過ぎた。まだ、分子生物学的研究が普及していなかった当時、真菌はもっぱら肉眼的観察、生化学的特性などを根拠に同定された。同定の費用は決して安価ではなく、とても自費研究では成り立たない事情を先生にご理解いただくと、ほとんどボランティア同様に真菌の同定をひきうけてくださった。帰り際に「主人はねえ、金沢から毎週送られてくる郵便物を、いきがいにしておりましたのよ。」「私こそ、先生との出会いがなかったなら、日常診療がどんなに色褪せていたか知れません。」 翌年6月。先生は帰らぬ人となった。

共同研究への道のり

遺伝子解析などで有名な帝京大学医真菌センターの槇村浩一先生からの電話だった。

「ただのきのこです。そう、そこらの山にはえてるやつ。」「きのこって、そっそんな。もう少しちゃんとした、ほらその」「PCR解析ですから間違いありません。ヤケイロタケに100%一致です。」ようやく慢性咳嗽と関連の深いかびの種類が絞られてきたころ、もしかしたらこれは世界的な大発見になるかもしれない、そう思いを膨らませていた頃だ。記者会見では、おそらく慢性咳嗽に重要な環境真菌を発見した人物として紹介されるのだろうな、試験管をふっていたほうがさまになるかな、いやまて、シャーカステンの前に座ったほうが貫禄あるな、そんなことを真剣に考えていたのだ。目眩。軽いめまい。きのこなのですね。夕ごはんのお味噌汁にぷかぷか浮かんでいる、なめことか、えのきとか、なんでしたっけ、まいたけ、しいたけ、あのきのこの仲間ということですか。状況の理解にはしばし時間を要した。

日本医真菌学会

 博物学者、関心は真菌の分類学。宇宙に真菌は存在するのか? そんな話を延々と語り続ける研究者たちにむかって、その後、患者さんの容体はどうなったのかなどと質問しようもなら、会場はしんとしてしまうような、しかし伝統ある格式高い学会の総会。 紅葉の高山。「それではイヴニングセミナー特別講演の講師は、石川県済生会、えー金沢病院の小川晴彦先生です。」座長は帝京大学名誉教授山口英世先生。真菌なんぞに興味がなかったころからでもその名は存じ上げていた。<感染症としての深在性真菌症に関してはガイドラインも整備されているが、アレルギー性疾患における環境真菌の重要性に関する問題は今後の注目すべき新しい分野である>とのコメントをいただく光栄に浴した。<地球温暖化に伴い、海面の温度が上昇すると頻繁に台風が到来するようになる。山野の倒木にきのこが繁茂する。きのこの胞子が街の家屋に入り込み、アレルギー疾患を惹起、あるいは修飾する。環境真菌とアレルギー疾患の問題は、地球温暖化と密接な関係があり, CO2の問題と同様、現代社会につきつけられた重要な問題である。> きのこと温暖化。きのこと世界平和。うむ、悪くない。

FACS-JAPANサミット

名古屋、高山、神戸、岐阜、東京。アレルギー性気道疾患と環境真菌を考えるmeetingを重ねた。かび仲間ができた。研究会を発足しよう、環境真菌関連アレルギー性気道疾患研究会(Fungus-associated chronic cough research society)だな、長すぎるな、FACS-JAPAN. あっ、それいいかも。えっと代表はぼくでいい? ホームページも必要だな。みんなでやらなければ、ただの風土病で終わってしまう。気道検体から検出されてくる真菌を同定できなくてはいけないのだ。全部PCR解析にかけるには手間がかかる。ならBasidiomycetous fungi (担子菌=きのこ)を選択的に分別できる新しい培地が必要だ。考案者の槇村先生の名前をとって、マッキー培地だ!アレルギーの検索には粗抗原が必要だ。とにかくヤケイロタケの抗原を作ってほしい。必要なのだ、頼む!2か月後、私の手元に嬉しい小包が届けられた。届け主は、国立病院機構相模原病院 竹内保雄先生。槇村先生とともに、FACS-JAPANの主要メンバーとなった。 

願わくはScientistのはしくれで

 座長がこちらを見ている。今、何か言ったようだな。質問かな?コメントかな? パードンって言えばいいのかな。しまった、貝になってしまっている。この沈黙をどう切り抜けるかだ。汗が貝の背中を伝わって落ちる。フロアーからパラパラと拍手がおきた。ブラボーの拍手とはちょっと違う感じだな。もう終わっていいということなのかな。Smile smile! こんなときは昔からsmileに決まっているのだ。あれから1年。面の皮はいくぶん厚くなった気がする。

 藤村政樹臨床教授のご指導で、新しい疾患概念<真菌関連慢性咳嗽Fungus-associated chronic cough (FACC: Journal of asthma 2009)>を皮切りに、一連の研究が米国誌(Allergic fungal cough; AFC; Journal of asthma 2009)、英国誌( Basidiomycetous fungi in CIC: Respiratory Medicine 2009) に掲載された。アレルギー学と真菌学は相性がよく、この先にはとてつもない世界が広がっているのかもしれない。「今の外人講師は誰や?」「有名な先生だよ。知らないのか?」「おし、行ってくるわ。話しをつけてくる」「大丈夫なのか?」「こわくないよ。」「英語のことだ、おまえの。」

Japan-sea conference

夜は観光客がひいて、見慣れた武家屋敷も、尾山神社もいつもとは違ったたたずまいを見せている。「小川は1匹。Peter、はい2匹. 」今朝、手取川で釣ったばかりという鮎。ボス自らが塩焼きにされたものだ。私のボスには口ひげがある。金沢城下の暗がりで鮎をほおばる3人の男たち。あたかも映画のひとこまかと見まごうシーン。「Peter! Where can we meet next time?  Will you come back to Japan soon? 」 「No. Ok. Let’s meet at the cough conference in London! 」「 London, next year ? 」「 Yes! 」「That’s good. 」白鳥路で蛍をみせてやろうと、いつもより上機嫌に歩くボスについてゆきながら、Japan-sea conferenceの講師として来日した、Dr. Gibson PGとかわした再会の約束だ。子供のころ見た蛍。蛍は本当に光るのだな。ここにいるぞと闇夜で静かに光るのだな。2010年。きのこの夢は、遠く英国にむけて広がってゆく。

あとがき

一流のオーケストラの演奏が一流なのではなく、一流の音楽を奏でるオーケストラが一流なのである。ワインとそのレーベルもそうなのであろうが、同じことは科学論文と掲載雑誌との関係においてもいえるなどと、2年間に9つの雑誌からrejectされつづけると、そんな負け惜しみの一つくらい言いたくなるものだ。しかし、当初の功名心が、まもなく瀬尾先生をはじめお世話になった先生方、スタッフの皆との思い出のためにという感傷にも似た気持ちに変わり、そしていつしか、ステロイド薬を投薬されている難治性アレルギー疾患に苦しむ患者さんのために、という強い気持ちに変わった頃、吉報は穏やかに訪れた。以前、学会といえば、自分の発表が終わればさっさと遊びにでかけたものだったが、今は、一流といわれる人たちのworkに、そして一流といわれるscientistの人柄や言葉に触れる貴重な機会として参加させていただいている。きのことアレルギー。この道一筋。思えば遠くにきたものだ。10年の道のりを清々しく振り返ることができ、これからの10年の夢を熱く語れるならば、これ以上の幸せというものがほかに存在するであろうか。ならばもう少し歩んでみようではないか。次の景色が見えてくるに違いあるまい。

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